ありのままのじぶんで生きると決める

最近、出会った途端に「ハートがオープンな人だな」と感じる人に出会ったこと。
やっぱり最近「あぁ、ハートが閉じてたんだな」と感じる人に出会ったことで、改めて「ハートをオープンに生きる」という事を書いてみます。

そもそも「ハートがオープン」というテーマは数年前、わたし自身が「フレンドリーなのとハートがオープンなのは違うよ」と言われたことがあり、問いとして持っていました。

それまで、会社員だった頃も誰とでも上手く付き合ってこれたし、人間関係でそれほど悩んだことがなかったのでハートがオープンかと問われれば、以前は迷いなくそうですと回答したと思います。
ところが、こころの学びをしていた講座中にワークの流れで、わたしの「ハートがオープンだと思う人」を、挙手をする場面がありました。
その時に30名近くいた受講仲間の中で、手を挙げた人は一人もいまんせんでした。
「こんなにハートがオープンなのに」と言ったわたしに対して「フレンドリーなのと、ハートがオープンなのは違うのよ」というのは、その時に言われた言葉です。

当時は全く理解できまんでしたが、今はあの頃のわたしがどんなに「ハートが閉じていたか」とても分かります。

そもそもハートがオープンって何か?

形もない掴めない「ハート」って一体何か?を理解する過程で、なぜフレンドリーだったかにフォーカスしてみると、生き抜く技だったことが今は分かります。

人は、極論は「生きる為」に、無意識に色んな鎧と仮面を身につけながら成長します。
フレンドリーさは、ハートがオープンだった訳ではなく場の空気を読んで、相手の気持ちを察し当たり障りない人間関係を築くように身に着けた術でした。

誰にも打ち解けない鎧
常に、攻撃する鎧
理論で固める鎧

いつも笑顔の仮面
あえて弱く見せる仮面

鎧と仮面は人それぞれです。
共通しているのは、鎧と仮面が一枚一枚出来ていく過程です。

成長する過程で、ただ無邪気に、ただ純粋に、ただ素直にありのまま取った行動や言葉が、親や身近な人の機嫌を損ねたり、罰を与えられたりする経験は誰にでもあるはずです。
その経験から人は生きる為に、無意識で無邪気さ、純粋さ、素直さに蓋をして、人それぞれ色んな鎧と仮面をつけて成長します。
または、育った環境から自然に鎧と仮面が出来上がる場合もあります。
そして気づくと、鎧と仮面がまるで自分だと思うようになっています。

「誰とでも、そこそこ仲良くやっていけてフレンドリーで嫌われないわたし」の鎧と仮面が自分だと思って生きていた時は、表面的には問題ないようですが、本音は誰にも言えないままで今よりずっと孤独で生きにくさを抱えてました。

世界観=自分への信頼度

ずっと昔に、奥に追いやられて埋もれてしまったハートを開くには、どうしたらいいのか?
そもそも、無邪気で純粋なじぶんのままではこの世界では生き残れないんだと、一枚一枚仮面と鎧が出来てしまった訳ですから、まずは一枚一枚の仮面と鎧に気づいて脱ぎ捨てていく過程が必要です。

鎧や仮面で武装せずとも、ありのままの自分で生きても、世界は安全であると感じること。
実際に目の前に広がる現実は、自分の投影なので見える世界=自分です。

「世界は危険で、誰も信用ならない」という怖れをベースに持っていると、沢山の鎧と仮面で武装して重いエネルギーで生きているでしょうし
「世界は優しくて、人は根本的に善人だ」という考えを持っている人は、厚い鎧で武装しなくても軽やかに生きていけているはずです。

ハートがオープンということは、いかにありのままの自分で生きているかと言い換えることができます。

そして、ありのままの自分で軽やかに生きている人と出会うと、こちらまで軽やかな気分になるものです。
エネルギーの循環ですね。

まずは、無意識で出来てしまった一枚一枚の鎧と仮面を自覚していくことが必要になりますが、その方法は実はたくさんあります。
そして、その方法の前に、とても大切なことが一つあります。

「ありのままのじぶんで生きる」とじぶん自身で決めること。

すると一人一人に必要なプロセスが必ず(←強め)やって来て、必要な人に出会ったり、必要な場所に導かれます。
じぶんの内側の力を想いだしてください。

わたしもまだまだハートが閉じたり開いたりパタパタしてるので、もっとありのままのじぶんで軽やかに生きようと決めていきます^^

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